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2005年2月

六星占術、宿命大殺界計算アプレットその壱.参


 先日からホームページに載せている、宿命大殺界の計算アプレットだが、またバグがあった。読者の方からのご指摘により判明した。大正元年と、二年のデータがおかしかったようだ。それを修正し、新しいアプレットを掲載した。

 http://homepage2.nifty.com/tatehome/RokuseiFortune/RokuseiFortuneForShukumei.htm

 アプレットは上記の、前回と同様のページに載せた。まだ、各節の宿命星を計算することと、宿命大殺界の時期を計算するのみになっている。宿命星の概略を表示するなどの機能はまだない。各宿命星の概略は下記、

 http://tateminstrel.cocolog-nifty.com/tatehome/2005/01/post_6.html

のページをご覧下さい。宿命大殺界の意味などは、参考文献を参照されたい。

 バグを修正しました。また計算してみてくださいね(´・ω・`;)ゞ。

 参考文献

 細木数子、2003、六星占術 宿命大殺界―あなたの人生を翻弄する恐るべきパワー

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二人の○○

 ○○は名前が入るはずだが、プライバシーの事とかがあるので、あえて書かない。僕は二人の○○を好きになった。一人は別れた彼女、もう一人は今の彼女。
 バレンタインデーが過ぎて、初めての日曜日だ。先週まで彼女にとっては、彼氏と会う為の日曜日だった。でも、今日からは、その日曜日は僕の物だ。今日は一日一緒にいられる。駅で待ち合わせて、手をつなぐ。それからずっと一緒に二人で過ごす。手をつないで歩く相手を、やっと見つけた。
 出掛けた後で、お互いの家に近い最寄りの駅で、夜のご飯を食べた。その後歩きながら、次に行きたい所を話している。僕が、あそこは前の彼女と行ったから行きたくないとか、その人に出くわしそうだから嫌とか言う。別れた彼女の事を、想っているのではないが、思い出の場所に近づくのを憚る気持ちがあった。元彼女に未練があるのではなく、思い出が心にこびり付いている感じだ。
 「前の彼女なんて関係ないじゃん」、「別れてよかったんだよ。そのおかけで私と出会えた」。その通りだ・・・僕もそう思っていた。なぜ僕がこの言葉を言わなかったのだろうか。彼女の顔を見ながら、申し訳なさと後悔が襲ってくる。「そうだよね・・・」と返す僕。まさに、僕はダメ人間だった・・・。心に半年間持ち続けていたわだかまりみたいな物が、「ふっ」と息で埃を払うように、一瞬で消えていった。彼女の方が、何倍も大人に見えた。
 半年前別れたおかげで、六星占術を知り、いろいろな本を読み、自分を見つめ直した。そして彼女と出会った。別れた直後は悲しみに暮れる。しかし、次にはもっと素晴らしい出会いが待っている事を、人は気が付かないものだ。彼女に出会えてよかった。
 思い出は、思い出として。これからは、彼女と思い出をを作っていけばいいのだ。別れた彼女の事を、完全に忘れさせてくれた同じ名前の彼女。「好き」という言葉以上のその気持ちを、伝えたかった。気持ちをうまく伝えられる、テレパシーみたいのがあればと思う。もどかしさを払うように、ただ抱きしめた。

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輝くこと

 腕枕していたとき、彼女が友達と少し前に話したことを言った。「私の人生が輝いてきた」と言ったそうだ。充実して、楽しいという意味だと思う。続けて「こんな気持ちになったのは、生まれてから初めて」と言う。
 僕は彼女の事を尊敬しているし、大好きだ。だから、そういわれたとき、とても嬉しかった。一緒にいて「楽しい」とは言われても、「輝いた」とはなかなか言われないと思う。初めての気持ちだと言うことに関しては、他にそういう人に出会っていないのか、それとも僕しかそういう人がいないのか、どちらかだなと思った。僕が、唯一の者だと思いたい。
 僕の何が、彼女をそんなに輝かしているのか、疑問にもなる。人は、自分が気付いている自分と、自分でも気が付かない自分を持っている。自分でも気が付いていない何かが、彼女をそうさせているのか。いつもへらへら笑っているだけの僕だが、他の誰も持っていない何かによって、彼女を輝かせているのかも知れない。
 世の中に研磨剤という物がある。台所のステンレスを光らせる磨き粉、車の窓を磨くコンパウンド。大抵、物を磨くためには、専用の磨き粉があるものだ。僕は彼女を輝かせる、専用の者なのかもしれない。このように書くと、自信過剰に思われかもしれないが・・・。
 「人生とは、誰しもが主役であって、また誰しもがエキストラなのだ」。その人の人生を乗っ取って主役になることは、誰にも出来ない。彼女の人生において、僕は大勢のエキストラの一人に過ぎない。だが、他の大勢の誰かと違う、彼女の人生を輝かせる者として、ずっとそばにいたいと思った。腕の中の、あなたと一緒に。


参考文献

ブライアン・L・ワイス、1996、前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘、PHP研究所
ブライアン・L・ワイス、2004、魂の伴侶-ソウルメイト傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅-、PHP研究所
小谷津孝明・星薫、1996、認知心理学、放送大学教育振興会


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伝言メモ

  「・・・もう寝ちゃったのかな・・・」その人の声がする。僕が夜電話をかけたのだが、その人は出なかった。しばらくして、かけ直してくれたのだが、僕が酔っぱらっていて寝てしまっていたのだ。
 メッセージを聞いた後は、必ず「削除しますか?」の確認がでる。そのボタンを押さないように、慎重に操作する。友達や、知り合いのメッセージはすぐに消してしまう。一度聞いたら消してしまうメッセージと、何度も聞きたいメッセージがある。両方とも「音」には変わりないが、そこに普通の「音」ではない価値がある。
 ボタンを押せばすぐに再生されるその声。でもそれと同じくらい簡単に、削除ボタンを押せば、すぐ無くなってしまうその声。携帯を変えればその声は聞けなくなる。他の機器に保存することもできない。それが、儚くも感じる。せめて、同じ携帯を持っている間は、その声を聞いていたい。
 重要な用件を言っているメッセージでもなく、他の人から見れば保存している価値などないのかもしれない。だがそこには、「その人の声」と、「それ以外の人の声」、そういう違いがある。僕と話をするために、掛けてきてくれた電話。そして、電話に出られなかった僕。
 雑音が入らないように、小さな声を聞き取るため、電話を強く耳に押し当てる。声を聞いただけで、幸せな気分になれる。その人のたった十秒のメッセージが、記録されている携帯電話。その電話はある日突然、僕の宝物になった。

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たわごと・その壱

2005021No1

 電車で帰るとき、ホームでこの広告をよく見る。JRの新潟ツアーか何かの広告だ。いま中上健次の本を借りて読んでいる。その中に、「白粉の香りが・・・」とよく出てくる。この広告を見るたび、白粉の匂いがしてそうだな (*・ω・)、と思っている。

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六星占術、運命星計算アプレットその弐.壱


 本日、六星占術の運命星を計算するアプレットその弐を掲載した。今回のアプレットは、生年月日を入力すると、運命星と天運の概略の表示、占命盤の作画を行うようにした。占命盤内の天運の位置をクリックすると、下の方に天運の概略が表示される。
 まだ見栄えが悪いです(・ω・;;)。興味のお有りの方は、やってみてください。また、質問や、改良してほしい点のある方は、お気軽にコメントをお書き下さい。

http://homepage2.nifty.com/tatehome/RokuseiFortune/RokuseiFortune2.htm

のページから、アプレットの置いてあるページへ行けます。

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「せかちゅう」の台詞

 ある人の、同僚の方が突然亡くなったと聞いた。僕もいとこを突然に亡くしている。
今「せかちゅう」のサントラを聞いているからか、しげじいの台本を思い出す。何回か僕の記事でも書いている事だが。
 うろ覚えなので、間違っているかもしれないが、その台詞を思い出しながら書いてみたい。

 人が死ぬって言うのは、えらいことだ・・・。
 思い出、おもかげ、楽しかった時間、そういうのがシミの様に残る。
 天国って言うのは、この世に生き残った人間が、発明したものだ。
 あそこにあの人がきっといる、いつかまだ会える、そう思いたいんだ。
 残されたものにできるのは、後片付けだけだよ・・・。


 いとこが死んで七年経つ。あれから、生きる事とは何かを考えた。自分も死ぬ寸前まで行ったことがある。そのとき、「生きている」というより、「生かされている」そう感じた。

 神様はいつも突然だ・・・。僕はそう思う。
 

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偶然

 「前世療法」の著者、ワイス氏は、「出会いに偶然はない」と書いている。説明すると、人は死に、そしてまた生まれ変わる。そして、生まれ変わる前に、次の人生で重要な役割を果たす人々と、再会の打ち合わせをして、また生まれてくると言うのだ。そのような重要な役割をする人々の事を、「ソウルメイト」と呼ぶ。それら「ソウルメイト」は、過去生において、たびたび会っている事が多いらしい。だから、親、兄弟、親友、恋人などは、前の人生で出会っていたかもしれないのだ。会ったことも無いはずの人なのに、何か懐かしさを感じることがある。そのような事が起きるのは、その人が「ソウルメイト」であるからかもしれない。ワイス氏は「運命の赤い糸」もあると述べている。人は出会うべき人と、必ず出会うのだと。
 先日、ある所に買い物に行った。その日は、その子(僕の好きな人)と会う予定は無かった。でも、朝、鏡の前でドライヤーを使っているとき、会えそうな気がする・・・そう思った。会社の帰りに買い物に行き、何事もなく帰ろうとした。僕の最寄りの駅は急行が止まるのだが、今日に限っては各駅に乗ろうと思った。
 そして、その各駅停車の電車に乗った。ふと携帯を見ると、その子からメールが来ている。今から出掛けるから電車に乗る、との内容だった。僕の降りる駅の途中に、その子が乗車する駅がある。僕が偶然にも各駅に乗り、まだその子の乗る駅を通過していない事をメールで送る。「同じ電車にのれるかも!」と返事が。その子が乗るはずの駅に着いたとき、僕はホームを見てみた。しかし姿は無かった。今日は会えないのかな、と思いながら携帯を見ると、「何列目に乗っているの?」と。「三列目だよ!」と送る。ふと前の車両を見ると、その子が歩いて来た。
 「出会いに偶然はない」と書いた。今日の事も、僕がその子と再会するために、生まれ変わる前に約束をしたのかもしれない。しかし、本当に死後の世界があるのか定かではない。「ソウルメイト」、そういうものも本当はないのかもしれない。しかし確かなのは、今日その子と偶然会えた事と、左手にぬくもりを感じている事だ。

 参考文献
ブライアン・L・ワイス、1996、前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘、PHP研究所


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ミルフィーユとおせんべい

 ある時、二人でお茶を飲んでいた。二人が座っているテーブルには僕の頼んだ、イチゴのミルフィーユ仕立てというデザートとコーヒーがあった。イチゴが旬なのか、安く仕入れたのか、イチゴのケーキが多かった。向かい合って座り、イチゴの話をしたり、たわい無い話をしていた。
 ウィキペディア(Wikipedia)で「ミルフィーユ」を検索したところ、
「ミルフィーユとは、:焼いたパイ生地とクリーム類やフルーツを層状に重ねたもの。肉類や魚類の料理で焼いたパイ生地と層を成すように重ねたものは「ミルフィーユ仕立て」と呼ばれることがある。」と結果が出力された。
 と、僕がその「ミルフィーユ」をばりばり食べていたところ、隣のおじいさんが・・・「おにいさん、そのあなたが食べている、おせんべいみたいなのはなんですか?(・∀・)?」と聞いてきた( ;´∀`)。お、おせんべいじゃないんだけど・・・、味は焼き魚みたいだけど・・・、と心でささやいた。「や、焼きパイ!?かな・・・」と彼女は答えた。
 それから「ミルフィーユ」の一般的な説明をしたり、そのおじいさんと話をしたりしていた。少し時間がたって、おじいさんがその日「馬」で儲かったからということで、飲み物をおごってくれる事になった。
 またもう少し時間がたって、「いつまでもなかよくね!」おじいさんはそう言って去っていった。何だったんだろう・・・('∀';)。別に嫌な気分になったわけでもないのでいいのだか。この店に入る前に、あちこち店を迷っていた。偶然この店に入ったのだが、おじいさんとの出会いもまた偶然であった。
 おじいさんには、二人が楽しそうに写っていたのだろう。「いつまでもなかよくね」これを聞いて、とても嬉しくなった。その楽しくて幸せな時間が、ずっと続けばと思った。自分たちが頼んだコーヒーと、おじいさんがおごってくれた追加のコーヒーと、「お腹」も「心」もいっぱいなった。

 引用文献

 ウィキペディア、http://ja.wikipedia.org/wiki/ 、「ミルフィーユ」で検索

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花の写真、その弐

H13MYCM3

 花の写真のその弐と言うことで、また新たに載せてみた。この花も家の近所で撮ったものだ。その壱と同様に、花の名前はわからない。
 これを年賀状(平成13年)にしたのだが、なぜこの花なのか!?、年賀状らしくない、といろいろな人から言われる。まあそんなことは気にせず、毎年毎年、お正月とは全く関係無い花の写真を送っているのだ。
 友達からは、自分の子供の写真を載せている年賀状が、届くようになってきた。そろそろ自分もそういう歳なんだと思いながらも、そういうことはあまり気にせず、また来年も花の写真を送るだろう ( 'д⊂ヽ゛。

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