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2005年4月

助言

 今日好きな人と会うことができ、家まで送ることにした。車で家の前を通ったとき、僕のお母さんがいた。彼女の顔を見ていたようだ。無事にその人送り、家に帰った。その人との事は家族には何も話していなかった。今日初めて話した。好きなんだが、いろいろ問題があることも。
 彼女は一流大学を出て、自分の研究を続けている事。家も、僕の家とは比べものにならないことも。感じるまま、思うがまま言った。それが事実であるとも思った。
 ここからは僕の推測だが、彼女のお母さんは、僕のようなやつと一緒にいるのを好ましくないと思っているだろう。彼女が僕と会うことを反対されている事は知っている。
 彼女が付き合っている人は、同じ大学を出て世間的にすばらしいと思えるくらいな仕事をしている。 だいぶよ酔い回ってきたところで、僕のお母さんは言った。「やめておけ。終わりにするなら、早いほうがいい。身分が合わない人と一緒になっても、辛いだけだよ。それは、親の私たちにとってもそうだろう」、「母親から見た意見だけど、その今付き合っている彼と一緒になった方がいいと、思うに違いないよ」。
 辛かった。そんなことを言われると思っていなかった。今まで彼女の事で反対された事などない。「赤い糸がつながっていないんだよ」と母親。部屋に戻ることにした。
 それを聞いて部屋に戻った。続きが無いのは、それ以上話していないからだ。彼女の彼よりも、僕の方がいい人間だ!!と言いたい。何倍もおもしろいし、絶対彼女を幸せにできる!!。しかし、どうにもならん。彼女がどんなに僕を好きでも、どうにもならないような気がする。
 一緒になれないのなら、生きている価値などないと思った (・ω・)ノ。

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宝くじ

 この前、夢占いで金運が上がる意味の夢を見たので、宝くじを買いに行った。お財布に八千円入っていた。今どのような宝くじが売っているのか全くわからなかった。とりあえず宝くじ売り場に行って、六千円出して、「今買える宝くじを下さい」と言った。そうすると、一枚100円、一等2000万円の宝くじがあるとのこと。「じゃあ六十枚下さい」・・・言ってからちょっと後悔した。「連番ですか?バラですか?」、と売り場のおばさん。連番だと下一桁で必ず当たるとか、前後賞でどうのこうのとか・・・。そんなことはどうでもよくて、「全部バラで・・・」。全部バラで買う事が、妙に男気溢れるような気がしている、僕はたぶんバカだ。
 「2000万円当たったら半分あげるから、結婚しない?」言ってみようかなと思う。相手の家から連れ去って、二人で住むには十分な金だ。と訳のわからないことを考えて、ニヤニヤしながら歩く。バカなうえに、挙動不審だ。こんなやつに神様は微笑むのか。
 夢を見たのもあるが、最近漠然とした不安に襲われている自分自身がいて、運試ししたかったのかもしれない。発表は明日らしい。

参考文献
高嶋泉妙、未来を占う開運 夢辞典、日本文芸社

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人生は

人生は綿密に計画された、茶番劇だ。別れにも出会いにも、偶然はない。必要なときに、必要なだけ与えられる。
今日それを確信した。人はきっと出会うのだ。望んだだけ、それは与えられる。

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人は

人はさびしいから、誰かと一緒にいたいのではなくて。
誰か一緒にいたい人がいるから、さびしくなるのだ。

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改札

 「さようなら」と言ってからどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。僕が会社からの帰りに、電車を乗り換える駅の改札で、彼女は待っていてくれた。今はないその姿を、無意識に探してしまう自分が哀れだ。 そこにはいつも見つけるべき人はいなくて、他の誰かが誰かを待っている。
 どうにも気になって、メールをしてしまった。返事はすぐに返ってきた。「Re:」と件名の頭についているメールは、彼女からの返信の証しだった。返事が来たという事の嬉しさと、その内容が愁然を誘うようなものだったらと、裏腹な気持ちが交錯する。しばらくメールは開くことができなかった。少し携帯を眺めながら、彼女を思ってみる。
 「今何をしているの?」と聞いたから、今何をしていたか書かれている。続けて、今日何をしていたかが書かれている。僕の家のそばに来ていたらしい。「会いたかったけど、会えなかった・・・」、そう書いてあった文を読んだとき、偶然は起きなかったんだと思った。
 「メールありがとう、すごく嬉しかった・・・運命が導いてくれるのを待とうと思います」、そう最後に書いてあった。出会う運命もあれば、別れる運命もあるだろう。どちらなのか、僕にはわからない。僕が今彼女にできること、それは「信じること」と「待つこと」だけだ。晴れた休日、部屋の窓から、桜が散るのを眺めていた。

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六星占術、相性占いアプレットその壱.弐

 先日から、六星占術に関するアプレットを修正している。その続きとして、相性占いアプレットも修正した。エラーはその他のアプレットと同様に、1977年12月生まれの計算できないというものだった。これを本日修正した。このエラーは読者の方からご指摘でわかったものだ。ありがとうございました。

 ご指摘をしてくださった読者の方に感謝いたします。みなさん、六星占術アプレットを試してくださいね('◇')ゞ。エラーがありましたら、コメントやメールでお知らせ下さい。よろしくおねがいします。

相性占いアプレットその弐
http://homepage2.nifty.com/tatehome/RokuseiFortune/RokuseiFortuneForCompatibly.htm

のページから、相性占いのアプレット起動後、生年月日を半角で入力してください。その後ボタンを押せば、相性占いを実行します。

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六星占術、宿命大殺界計算アプレットその壱.五

 本日、、宿命大殺界の計算アプレットを小修正した。今回の修正は、何歳運かを計算する所に行った。バグは読者の方からのご指摘により判明した。本当にありがとうございました。

 http://homepage2.nifty.com/tatehome/RokuseiFortune/RokuseiFortuneForShukumei.htm

 アプレットは上記の、前回と同様のページに載せた。まだ、各節の宿命星を計算することと、宿命大殺界の時期を計算するのみになっている。宿命星の概略を表示するなどの機能はまだない。各宿命星の概略は下記、

 http://tateminstrel.cocolog-nifty.com/tatehome/2005/01/post_6.html

のページをご覧下さい。宿命大殺界の意味などは、参考文献を参照されたい。

 バグを修正しました。また計算してみてくださいね(`・ω・´;)ノ。

 参考文献

 細木数子、2003、六星占術 宿命大殺界―あなたの人生を翻弄する恐るべきパワー

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伝言メモ・その参

 会社を出る10分ほど前に、突然映画が見たくなった。携帯電話のボタンがおかしくなってきたので、修理してもらうため、ドコモに行こうとも思っていた。電話を預けた後の待ち時間に、映画に行って、見終わったら電話を取りに行く予定だった。映画は何を見てもよかった。電話を預け、映画館に着いたとき、丁度よく始まりそうな映画でよかった。
 ドコモショップに行き、早速ボタンのチェックをしてもらう。しかし今回はボタンのクレームは受け入れてもらえず、交換は出来なかった。数ヶ月前に交換してもらった時と同じ症状なのだが、交換してもらうはずの、新しい電話のボタンの方がさらにおかしいのだ。こんな事もあるのだなと思い、そのまま映画館へ行く。
 映画は「ナショナル・トレジャー」を見る。簡単に言うと、ニコラス・ケイジが宝物を探し出す物語だ。しかも終盤頃には、ついでに恋人まで見つけてしまうという、全くうらやましい物語だ。ニコラス・ケイジはまんまと金と女を手に入れたわけだ。
 「前から三列目、まん中」、それが僕が映画を見るいつもの位置だ。少し画面に近すぎるような気もするが、まあいいのだ。こうして一人で映画を見るのは久しぶりだ。映画を見ながら自分自身の事を考え、金はそんなにいらないから、恋人だけでもいたらなと思う。カップルが数組、あとは僕しかいない。がらがらの席に座りながら、手をつなぎながら映画を見たその人が、隣にいてくれたらと思う。映画はフィクションだが、自分とのあまりのギャップが、可笑しく思えた。無性に宝物探しがしたくなった。自分にとって宝物とはなんだろう。
 映画からの帰り道、とてつもなく寂しくなる。今日、交換出来なかったので、その人の声がまだ入っている携帯電話がある。伝言メモをまた聞いてみる。仲がよかった頃の声が入っている。劣化無く、そのときのままの声が再生される。テクノロジーは時として残酷だ。
 本に「すべての事には意味がある」と書いてあった事を思い出す。今日電話を交換できなかった事にも意味があるのか。「もう少し電話をもっておけ」、と言う啓示なのか。しばらくメッセージは聞かないだろうが、電話はもう少し持っている事にしよう。「人生とは学びだ」。そこから何かの学びがあるのかもしれない。
 帰り道、大きな桜を見ているカップルがいた。桜が散る前にやり直せたら、と思ってみた。

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お墓参り

hana

 僕の実家は長野だ。この場所につくと、ふと半年前を思い出す。いつも石はそこにあって、静かに誰かを待っている。お墓の石を見ると、自分も世の中も何も変わっていないような気がする。しかし自分に気がつかないことが、変わっているのだろう。
 音信不通だった元彼女から、突然連絡があったのはこの場所だった。そのときは復縁を望んでいたのだが、その願いは叶わなかった。そのときは夏だった。盆地の長野特有の暑さで、よく日焼けしたのを思い出す。元彼女と1時間くらい話をした。それが彼女の声を聞いた最後だった。汗だか涙だか体から水分がよく出ていった。ひどくのどが渇いた日だった。
 それから、忘れようといろいろな事をやってみた。いろいろな本を読んだ、趣味も一生懸命やった。復縁をあきらめて三ヶ月くらい過ぎて、また出会いがあった。その人とも、いろいろな事があって、とても楽しい毎日を過ごしていた。だが、いつも神様は突然で、意地悪だ。「人生はその人が期待するように、うまく予定通りには進まない」と本に書いてあった、この言葉を思い出す。世の中は理不尽だ。本人同士だけではどうにもならないことがある。その人とも、また終わろうとしてた。
 


nagano

 曽祖父に聞いてみたかった「僕はこれでいいのか?」と。来るべき時に、来るべきものが来る。そして、去るべきものは、去っていく。愛することは信じることと、許すことだと書いた。さらにワイス博士は「許すこと」について、「それは忘れることではなく、理解することだ」と書いている。僕は理解しようと思う。その人と、その人の回りにいる人たちと。
 お墓からの帰り際、携帯電話を見てみる。どんよりした雲と、雨を運ぶ風が吹いていた。鳴らない電話を眺めながら、そこはただ静かだった。

参考文献

ブライアン・L・ワイス、1996、前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘、PHP研究所
ブライアン・L・ワイス、2004、「前世」からのメッセージ-人生を癒す魂とのであい-、PHP 研究所


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